プロフィール

Facebookファン化集客コンサルタント

山嵜庄司(通称:警部)

◯自分の強みやウリをうまく表現できず・・・集客・売上に困っている言語化ニガテな女性起業家向けに、3,000人をプロファイリングした元刑事の分析力で”あなただから伝えられるストーリー”と”隠れた強み”を発見し、あなたの隠れた本当の気持ちを”腑に落ちるコンセプト”に言語化するだけでセールスを頑張らなくても「あなただからこそお願いしたい‼︎」といわれる強烈なファン化集客を実現するfacebookファン化集客を実現する”Facebook集客コンサルタント”

◯元刑事らしくない、優しく包み込むようなセッションスタイルや心の深い部分をプロファイリングし、本人も気が付いていない”心の真実”を発見するセッションには好評を得ている。

◯幼少期や刑事時代の経験から女性対象にセッションを提供している

◯「経験なし、実績なし、顧客なし」の状態から起業したが、17年間で培った刑事経験や取調べスキルを用いて、起業9日目で高額商品を契約し、起業初月で刑事時代の収入を達成。起業から3ヶ月で50人以上のWeb集客に成功。

【サポート実績】

・スピリチュアル系のセミナーで42人を初集客(スピ系のコンサル)

・ゼロイチ➡︎コンサル4ヶ月後に15万円を契約(目標達成コーチ)

・起業塾やコンサルを受けても成果がでなかったアラフィフが2か月で3人のモニター契約(婚活コンサル)
・継続サポート6ヶ月の間に過去最高月商を達成(パーソナルスタイリスト)
・1回のFacebook投稿だけでセミナーの申し込み(起業コンサルタント)
・Facebook投稿だけで「どんなサービスをしているの?」3件も問い合わせ(子育てコーチ)
・FB投稿やプロモーションのやり方を変えただけで数十分で満員御礼(つよみコーチ)
・集客ゼロ→14人集客満員御礼連発→売上100万円達成(子育てコーチ)
【自身の実績】
・1回のプロモーションで15人を集客、110万円の売上げ
・Facebookに1回のプロモーションだけで「160リスト」を獲得

・募集開始8分で満員御礼、開催したフロント商品はすべて満員御礼

■ミッション

本音をがまんしたり、人と比べずに魂から納得できる、あなたの理想の生き方を見つけるサポートをすること

■ビジョン

女性が心の底からやりたいこと、好きなことに挑戦して家族やパートナーに応援されながら「私の人生、最高!」といえる幸せな生き方を一人ひとりが見つける世界を作ること

◯剣道歴30年。趣味は読書、漫画、映画鑑賞、トレーニングなど

幼少期の記憶「家に帰りたくない」

僕は、3人男兄弟の次男として生まれました。

何事にも一生懸命に取り組んで言われたことは必ず守る

好奇心旺盛で、挑戦することが大好きで、真面目な子供でした。

映画「グーニーズ」が大好きでした。

秘密基地を作ったり冒険ごっこをしたり大切なものを土に埋めて見つける宝物発見遊びをよくしていました

小学校からの帰り道は道路の白線を一本橋に見立てて落ちないで家まで帰れるかいつも挑戦していました。これと決めたものはとことん追求しました。 

 それを象徴するのが”最強泥団子”作り。家のそこら中の土を掘り起こし、土の色や材質を調べ、土の配合を変えたり焼いてみたり、寝かしたりわざと落として鍛えたり、最強の泥団子作りに命を燃やしました。

外でひとりで自由気ままに遊ぶのが好きでした。家にいないで外がいることが多かった。

なぜなら、家が帰りたい場所ではなかったから。

幼少期、祖父から怒鳴られ、横暴な振る舞いを受けて我慢し続ける母親をずっと見てきました。怒鳴られていない姿が思い出せないほど母はいつも祖父に怒鳴られていました

祖父の顔を見るのが苦痛でした。でも、母はいつも明るく、私たち子供に八つ当たりをしませんでした。私がいつも明るいのは母のおかげです

ただ、辛いことがあっても我慢をしなければいけないという価値観が身につきました。

自分だけは母親に絶対に迷惑をかけてはいけない。そう思うようになりました

でも、あの日のことは忘れない

夕食時、僕を呼ぶ祖父のことを無視したら私の代わりに母親が怒鳴られました。

僕は居た堪れなくなって逃げるようにトイレに駆け込みました。母親は私の後を追いかけ、トイレのドアを開けて叫びました「おじいちゃんの前ではいい子にしなさい」とてもショックでした。

自分は、母の味方だったのに・・・。悲しくて悔して涙が溢れ出て、目の前の景色がボヤけました。

小学生の自分には理解できなかった。「嫌だったわよね」そう言って欲しかった…

それ以来、人とどうコミュニケーションを取れば良いか分からなくなりました。

人とコミュニケーションを取ることが怖くなって、自分の気持ちより相手が何を考えているか何を望んでいるのかを注意深く観察するようになりました。 

ドラゴンボールやスラムダンクなど仲間とともに悪と戦うヒーロー系やスコポン系漫画が大好きでした。

”一生懸命、本気で何かに打ち込み、本音で何でも話せる仲間”が欲しかった。

 僕にとって、それは決して手に入らない理想郷に過ぎませんでした。「なに一生懸命になってるの」クラスメイトからはいつも馬鹿にされました。

自分を認めてもらいたくてクラスメイトと仲良くなりたくて、相手が喜ぶことをしようと考え過ぎていつも空回りする自分がいました。

そもそもどんな話をして、どうすれば人と仲が深まるのか全く分かりませんでした。 クラスメイトが輪になって、仲良さそうに話しているのが不思議でしょうがなかった。

なぜ、自分は普通に人と話せないんだ?なぜ、自分は人と仲良くなれないんだ?自分に自信がなくなりました、自分が嫌いでした。自分に何かできることなんてないと思ってた。

未来に希望もなかったし、将来やりたい夢もなかった。 

小学生の時、将来の夢という作文でクラスメイトが「パイロット」や「ケーキ屋さん」など華やかな夢を綴る一方で、仕方なく書いた僕の夢は・・・会社員になること、だった。

クラスメイトからは「寂しいやつだな」と笑われたのを今でも覚えている

楽しかった週末のお泊まり

週末になるとひとりでまたは兄弟で母方の実家に泊まりに行くのが習慣になっていました。 

母方の実家は、祖父母、叔父の家族が同居していて、とても賑やかでみんな仲が良く、僕にとってはサザエさん一家のように和気あいあいとした理想的な家族に見えました。 

日中は、親戚の女の子とよく遊びました。 

 僕は、異性の友人が同性と同じようにフランクな友人という意識があります。

今でも女性の友人の方が同性より圧倒的に多くて、職場でもどこに行っても女性と話すことに全く抵抗がありません。幼少期に親戚の女の子といつも遊んでいたからかもしれません

実家に遊びに行き、夕食を食べ入浴をすませると、夜は一同がリビングに集まり、そこで全員でトランプで遊ぶのが日課でした。七並べや大富豪、ババ抜きなどをするのが定番。

家族全員が仲良く、1つのことをして、笑い合う。ただのトランプなのに大人と子供が一緒になって大爆笑しながら楽しむ。子供心にめちゃくちゃ楽しくていつも終わるのが寂しかったのを覚えています。 

自分の家もこうだったら良かったのにといつも思っていました。 

今でもその時の楽しい感じが昨日のことのように思い出せます。 きっと私はあの時のみんなで仲良く笑い合い、楽しむ空間が大好きでそれを追い求めていて実現したいのだと思います。

寝るときはいつも祖父母と一緒でした。祖父母は、電気を消してテレビを見ながら寝るのが習慣でした。

自分の家では寝室にテレビはなかったし、夜9時以降はテレビを見てはいけなかったのでなにかいけないことをしているようなワクワク感がありました。 午後9時からやっている映画を見ながらいつの間にか寝ているという非日常空間がとても楽しかったのを覚えています。

いじめを受けた小学生から中学時代

小学6年生ころから人にちょっかいを出されたりいじめを受けるようになりました

 何をされても言い返さない自分がいじめっ子にとって都合がよかったのだと思う

小学生の時、校庭の砂を顔面にぶつけられたり、家庭科の授業でアイロンで熱した鉄製のマグネットを背中に入れられたり、中学生になっても状況は変わなかった

部室に閉じ込められたり、授業で作った美術品を壊されたり、ネクタイで首を絞められたり、全校集会でバックドロップをされたり、でも我慢すればいつか終わると思ってた。 

どうせ自分は何も変えられない、同じ日常に我慢するしかないと思っていた。

流されるままに日々を過ごしていた

下校時、いじめっ子にバッグの紐を思いっきり引っ張られて切れそうになったので、さすがにキレて怒鳴った。

「こんなことして楽しいのかよ!」いじめっ子は「楽しいのかよ、だって!ハハハー!」 って仲間と笑っていた・・・。唖然とした。こんな人間しか世の中にはいないのかと毎日がものすごくつまらなかった。

当時、家庭内はゴタゴタして両親は離婚した。

離婚の事実を知られたら、いじめがエスカレートすると思い、事実を隠すために家族が出て行った父方の実家に自分だけ残り大嫌いな祖父母と暮らした。 

辛さを吐露できる友達、仲間が欲しかった。

本当は、誰かとこの辛さを共有したかった。でも頼れる人はいなかったし、勇気がなかった。

思考が停止していて学校に行かないという選択肢も思い浮かばなかった。

人に頼るという選択肢が自分の中から消えた。常に自分ひとりで決めて選択するようになった

中学校のとき、江戸川区の剣道大会で個人優勝をし、区の代表選手として東京都の特別大会に出場した。

全校集会で壇上に上がり、表彰を受けものすごく嬉しかったのを今でも覚えている。

だけど、部活で剣道を一生懸命やりたい自分と部員との温度差は大きく、次第にその環境に流されてサボることばかり覚えるようになった。 

 一生懸命に価値はない。自分を理解してくれる人間はいない。 そう思った。

いじめを受けないためにどうしたら良いか考えて、自分が取った行動は無理やり、いつも明るく人を笑わせる存在になることだった。

わざと授業中に手をあげて注目を集めたり、馬鹿なふりをして何をされても、振ってくれてありがとうというスタンスを貫いた。 その甲斐あって、いじめはなくなったが本当の自分が分からなくなった中学校の記憶はほとんどない。いじめと両親の離婚のダブルパンチが僕の記憶に蓋をした。

女性たちと仲が良かったのを覚えている。

仲良かった男子は圧倒的に少なく自然と女性とは仲良くなることができた

友達は多い方ではないが、今でも友達は異性の方が多い。

きっと幼少期の親戚の女の子と遊んでいた事が影響しているのだと思う。 

以前、スピ系の成功者から「あなたは女性のエネルギーが強い」と言われたことがある

剣道しかなかった高校・大学生時代

そんな自分が進学に選んだ高校は男子校だった。

同性より異性の方が自然と仲良くなれる自分が男子校に進学する 

いま考えると頭がおかしいとしか思えないが当時は、自分の人生について深く考えることが全くありませんでした

とりあえず入学できる高校ならどこでもいいやと思ってた。勉強が嫌いでした。何のためにやっているのか全然分からなかったし、成績もよくなかったから自分のことを馬鹿だって思ってた。

高校受験のために塾に通っていたけど、怒られたくないから勉強をしていただけで数学、国語、歴史に関わらず出てきた問題をただこなして暗記するだけの作業だった。 

高校時代は、今でも付き合いのある親友ができたこと、そして剣道をしていた記憶しかない

中学校で個人優勝していた剣道の実力も高校では、ほとんど通用しなくなった。 

レギュラーを取れない悔しさと試合で負けたら怖いという気持ちが入り混じっていた。

本当はもう剣道をやるのが嫌だった・・・でも、自分から剣道を取ったら何も残らないと思っていた。 

とにかく頑張れば、努力すればいつか実力が伸びると思っていた。

でも、ほとんど実力は伸びなかったし、真剣に取り組んでいなかった。

3年生の時、真面目だからという理由でキャプテンに任命された。

キャプテンなのに実力がないからレギュラーとして試合には出ない、控えとしてチームを応援した。

キャプテンとして一生懸命に熱っぽくチームを引っ張ろうとしたが中学生の時と変わらず、自分と部員との間には大きな温度差があって、浮いていた。

やっぱり一生懸命やることに価値はない、あれは漫画の世界だと改めて感じた。

人と違う自分が嫌いだった・・・自分に自信がなかった・・・

クラスでは仲間が欲しくて、無理してクラスメイトの輪に入ろうとして「アイツ、うざい」と陰口を言われていることを知った時はとてもショックだった。

不真面目な奴が嫌いだった。自習の時間に遊ぶクラスメイトを横目に真面目に勉強をしていた。部活で努力義務だった毎日提出するトレーニング日誌も他の部員がやらなくなるなか、ひとりだけ提出していた。

自分には剣道しかない。自分から剣道を取ったら何も残らない、そう思っていた。将来どうしたいかなんてない。

大学でも剣道をするのが普通だと思っていた。 それ以外の道が自分の中になかった


剣道をずっと続けていればいつか道が開けると思ってた。僕は体育会系の大学に進学した。 

剣道部員が数百人いる大学。 どんなに性格が悪い先輩でも尊敬しなければいけない

動きが悪いと、目をつけられていじめを受ける。 わざと負けて先輩が気持ち良くなるような接待剣道を覚えた。

飲み会があれば無理やり酒を飲ませる、一気飲みをさせる。体育会系の先輩・後輩の強烈な人間関係がとことん嫌だった。

大学でも自分を出さずにクラスメイトと仲良くなるために相手が喜ぶように話を合わせた。

ハブられるのが怖かった・・・一生懸命やることに共感する人はいない。価値はないと人生を諦めていた。

人といると疲れるから大学でも1人でいるのが好きだった。授業と剣道以外は、ひとりで料理を作ったり、ゲームをしたり海を見に行くのが好きだった。

本当は人と繋がりたい。同級生や後輩に料理を振る舞い、美味しいと喜ばれるのが嬉しかった

とにかく本当の自分を理解してくれる人はいないと勝手に決めてた

人に自分の本心を語るのが怖くて本当の自分を出せなかった

大学4年生になり、就職活動が始まった。社会で何かを成し遂げたいそんな想いは皆無だった。大学を卒業するから就職をしなければいけない。そう思っただけだ。

母親を安心させたい、リストラのない定年まで続けられる仕事をしたい。真面目な自分を受け入れてくれる職種がいい。そんな想いから民間企業を受けようとは1ミリも考えなかった。公務員一択だった。

 唯一、自分が誇れること。剣道を続けてきたこと。そして真面目な自分もきっと受け入れてくれるかもしれない

 人生が変わった警察官時代

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平成15年4月1日。僕は警察官になった。

そして、人生が変わった。

警察官になると警察学校に入校して、必要な知識を学び、能力を身に付ける。必要な体力や筋力を鍛えに鍛える。入校期間中は500Km位走ったと思う。 おかげで腹筋はバキバキだった

全ての行動が時間管理され、規律も厳しく、行動は制限される

ひとりの行動が全員の責任になる連帯責任が徹底的に叩き込まれた。

同期生は、親が警察官だったり、犯罪や交通事故を減らしたいという希望に満ち溢れた、情熱的で真面目な人たちの集まりだった

毎日、みんなで必死になって勉強して、仲間同士支え合いながら知識と能力を身につけていった

今までのお気楽な学生生活とは違う。一般人から警察官になるのだ。ときに暴れる犯罪者を制圧し、ときに自らの体を張って一般市民を助けなければならない。自分の判断一つで人の命が失われる可能性もあるのだ。

警察官になるということはそういうことなのだ。厳しい規律があって当然だ。教官たちに嘘は通用しなかった。 

みんな自分が抱えている弱い自分、ダメな自分をさらけ出された。 

自分も素の自分で勝負するしかなかった。 素の自分とは、本当は人と本音で話したい。真面目で一生懸命が大好きな自分だ。学生時代、そんな自分を出してはいけないと心の奥底にしまってきた自分だ。

自分に嘘をついて日々を過ごせるほど警察学校は、楽な場所ではなかった。本当の自分をさらけ出して真面目に一生懸命、何事にも取り組んだ。同期とも本音で自分が思っていることを正直にぶつけていった、今まで出せなかった一生懸命な本当の自分を出して同期と接した。 

最初は怖かった。今まで一生懸命やろうとしたら散々バカにされてきた。

人と本音で話すとろくなことはない。バカにされて、イジられる。

なんだアイツって、ハブられる。そう思ってた

そんな自分を笑ったり馬鹿にする同期はひとりもいなかった。

逆にみんなが”山ちゃん、山ちゃん”と慕ってくれて、信頼してくれた。 

嬉しかった・・・このままでいいんだ・・・本当の自分を出してもいいんだ・・・ 

学生時代、誰も価値を認めてくれなかった本当の自分をみんな受け入れてくれた 

初めて仲間と言える信頼できる人間たちに出会えた

幼少期からずっと憧れていた”理想郷”が警察学校にはあった。

いつしか人生を諦め、止まっていた時計の針が再び動き始めた気がした

警察官になって本当に良かったと思った。

警察学校は大変だったでしょ?よく聞かれるが、「人生で一番楽しかった」といつも答える。

あんなに充実した6ヶ月間を超える思い出をこれからの人生で味わえるのだろうか?と思えるほど、あんなに仲間同士で支え合い、一生懸命になった経験はなかった。 

あんなに自分の存在が許され認められたのは初めてだった。

”自分なら何があっても大丈夫”といま、思えるようになったのは警察学校での経験があったからだ 。

憧れの刑事の道へ

警察学校での研修を終え、涙で同期と別れを告げ、それぞれの警察署に赴任した。交番で約2年勤務し、 僕は憧れていた”刑事”になった。

 

私が刑事にあこがれた理由は簡単。警察学校で出会った教官がバリバリの刑事でとても魅力的だったから。

「こんな人になりたい!!刑事って、やっぱりカッケえぇって思った!!」

刑事になりたての頃に取り扱った事件や犯人のことはいまだに覚えている

なかなか事件の突破口が見えずに苦労したことや自分の経験不足から知らないことや分からないことが多くて上司にたくさん迷惑をかけたりした。

毎日が必死でどうすれば事件が解決できるか考えて、早く一流の刑事に、優秀な刑事になりたくて、休日も仕事に行った。上司から「住民票を変えた方がいい」とからかわれた。

本当に全ての経験が宝物です。

警察官の経歴のほとんどが刑事一番長いのが”泥棒を捕まえる、盗犯係”

犯罪が発生した後に現場に入り、様々な証拠や客観的な事実に基づき、自分なりの仮説を立ててゼロから犯人を見つける作業は不謹慎かもしれないが、とても楽しくやりがいのある仕事だった

取調べはうまくいかなった

刑事というのは職人の世界。取調べをどうやって進めるかどうすれば犯人が自供するか、イチから優しく教えてくれる上司、先輩はない

だから、取調べ技術を上司、先輩から見て盗んで、技術を磨くしかなかった

強面の犯人もいる。本当のことを話す人間など存在しない

最初のうちはドギマギして全く必要な事が聴取できなかった 

犯罪者に事実を全て吐き出させなくては本当の更生にはつながらないと思っていた

取調べ技術を向上させて自供させられる刑事になりたい 

休日は、本屋に行って、犯罪心理学や嘘の見抜き方、ボデイランゲージ解読法や微表情、犯罪プロファイリング、警察小説やノンフィクション系の警察本など様々な本を片っ端から買って読んで勉強した。本格的な海外の捜査ドラマもヒントがないかと勉強した

犯罪を犯す人間は取調べ中にどんなことを考え、どうすれば自供するのか

どんな仕草がどんな意味を持つのか刑事はどんな態度や言葉を使えば犯人より心理的に優位に立てるのか

実際の現場で試して、改善しながら少しづつ取調べ技術を向上させていった 

ある日、犯人が自然と自供して、中にはボロボロと涙を流しながら真相を語る者が出るようになった。勉強すれば、不可能はない。この経験から学んだ

毎日が楽しかった。嫌な上司や命の危険に面したこともあったけど、人間関係に恵まれて、順調にキャリアを積み重ねて部下も持つようになった。

仕事を評価してもらい本部での勤務も何度かさせてもらいました。

警察組織も私自身もまさか退職するなんて思っていなかった

時は流れ、結婚して子供を2人授かった頃、人生の転機となる出来事が起こった。

人生の大きな転機が訪れる 

 1つ目が、”大切な人たちの別れ”でした

警察学校でいちばん仲の良かった同期を交通事故で。当時、右腕として私を支えてくれた直属の部下。そして、離婚してしばらく疎遠になっていた実父を病気で同時期に3人と別れを告げることになりました

 仲の良かった同期の突然の死は私に大きな衝撃を与えました

警察学校時代、同じ部屋でいちばん近くで寝食を共にし、私の苦悩も喜びも知ってくれている、いちばんの仲間でした。その知らせを聞いたときは本当に信じられませんでした 。

”出勤中の警察官、交通事故で死亡”実名が載ったネットニュースを見ても、現実とは思えなかった。

信じたくはなかった・・・。行きたくなかった葬儀当日。棺に入って安らかな顔で眠っているアイツの顔を見て、これは現実なんだとやっと理解した・・・。

なに寝てんだよ!!痛くなかったか…。泣かないと決めていた。

無理だった。葬儀中、人目もはばからずお坊さんのお経が耳に入ってこないほど、体中の水分がなくなるほど嗚咽を漏らしながら同期と一緒に泣きに泣いた。

アイツの好きだった「SEKAI NO OWARI」のBGMが虚しく流れていた。

人前であんなに泣いたのは初めてのことだ。

一緒にご飯を食べた時のこと。一緒にトレーニングしたときのこと。一緒に抱き合って喜び合ったときのこと。笑ったアイツの顔が脳裏に浮かんだ。

本当にアイツはいい奴だったのに・・・チクショー!!!!

こんなに早く死んでいい奴じゃなかった。無念だった。ただ、ただ、悔しかった。


私を陰ながら支えてくれた年上の部下はいつも私と一緒に行動する立場だった

年下の上司でやりにくかったはずなのに一生懸命、私を支えてくれた

病気が発覚して亡くなるまでたぶんすぐ復帰するだろうと楽天的に回復するのを信じたが帰らぬ人となってしまった

今日は調子がいいです。早く復帰しますからね。会いに行くといつも笑顔で答えてくれた。ただ、ただ、残念だった


実父とは中学時代に離婚してから一度も会っていなかった

なんとなく会うことに気まづさを感じていた

葬儀で会った父は私が記憶している父ではなかった 

長く闘病生活を送ったようで頬がこけ、別人のように痩せていた


警察という仕事上、多くの死を見てきました。

多い方ではないが百体以上のご遺体を捜査してきた。解剖にも立ち会ったことがある。

死というものに慣れていたつもりだった。でも、違った。

死が自分には関係ないと思い込んで見ないようにしていただけだった

僕は3人の死を通じて命が有限であることを痛感した

 2つ目は、”休日の呼び出し”だった。

警察署で刑事をしていたとき、まだ、子供は赤ちゃんだった

普段は夜遅くまで仕事をしているから休日くらい家族でゆっくり出かけたい。妻の提案で”イスクピアリ”に新しく出店したパンケーキのお店に行こうということになった。お店には行列ができていた

赤ちゃんを抱っこしながら何食べようか?とワクワクしながら時間を待った。順番が来て、ハワイアンな華やかな店内へ。注文をし、「この後何をしようか」とたわいのない会話をしているとランチが運ばれてきた。

まさに運ばれてきた。ちょうど、そのタイミングを見計らったようにスマホが着信した・・・。本当に神様が図ったようなタイミングだった。スマホの画面には上司の名前。悪い予感しかしなかった・・・。

妻に怪我を負わせた夫を逮捕する、人手が足りないからすぐに出勤してくれ
警部
 (マジか!よりによって、なんでこのタイミングなんだ・・・ガクッ)分かりました。

運ばれてきたばかりのパンケーキをゆっくり味わう時間もなく急いでかっこんで、職場に出発した。

刑事をしている以上、呼び出しは不思議なことではないし、今まで何度も経験している。

でも、あの時の生まれたばかりの子供を妻に託し、せっかくの休日も泡となり職場に出発した時のやるせなさを未だに覚えている。寝不足で疲れて、赤ちゃんを抱えている妻の「頑張ってね」の優しさが心に突き刺さった

自分の家族を犠牲にして他人の家族間の事件を優先することが心の中でものすごい残念だった。

その日を境に独身の時には感じなかった、休日の電話がとても恐ろしくなった

また呼び出しを受けるのではと休日も朝からドキドキして気が休まず、少しの遠出も控えるようになった

常にスマホが手放せなくなりスマホをポケットに入れているとバイブが震えているように感じて何度もポケットから取り出し着信をチェックするようになった

「気のせいか・・・」そんな休日をずっと過ごしていた。全く心が休まらない。

これが自分のやりたかった仕事なんだろうか?365日24時間心を張り詰めてピリピリして家族や自分を犠牲にしてまでやるべきことなんだろうか?定年まで20数年、ずっとこんな毎日をオレは送るのか?警察を続けて果たして自分は幸せだろうか?死ぬ間際、あの時やっぱり退職しておけば良かった。

そう後悔するのでないかと考えることが多くなった。

自分を犠牲にしても正義を貫く。どんな犠牲もいとわない。それが刑事の誇りだ。そんな想いが少しずつ虚しく思えてきた。

急激に仕事へのモチベーションが下がり、毎日仕事に行くのが憂鬱になった

今までは気にせずにいられた「税金泥棒」「警察は暇だな」「もっとやらなきゃいけない仕事があるだろ!」「お前らは本当に役人仕事だな」心ない言葉や感謝されることが極めて少ない警察官の仕事に嫌気が差すようになった

早く子供に会いたくても事件処理で帰宅が遅くなり寝顔しか見れない

帰宅してもひとりで食べる夕食。 仕事終わりにコンビニに寄っておにぎりを買って食べながら帰宅して夕飯を済ませることも少なくなかった

今日は保育園に子供を迎えにいかなければならない。そんな日に限って、帰宅間際に事件が発生して帰れないことも多かった。

犯罪者を捕まえても捕まえても変わらずに日々、発生する事件

自分が世の中に貢献しているという感覚がなくて、虚しかった。

自分がいてもいなくても何も変わらない・・・そんな無力感を感じるようになった

土曜日の朝から月曜日を迎えるのを想像して、ため息をついていた

もっと家族の時間を大切にしたい。自分だからこそできること自分にしかできないことで世の中に貢献したい。そう思うようになっていった・・・。

3つ目は、”突然の異動辞令”だった

心が不安定なまま警察署で刑事をしていた。退職と言う言葉がよぎったけど、家族を露頭に迷わせてはいけない警察を辞めて自分にできることはない。

正義感の強い自分にとって警察はきっと天職だ。今は、たまたま嫌な気持ちになっているだけだ。時がきっと解決してくれる。仕事には楽しい時も辛い時もあるはずだ。

そう自分に言い聞かせて自分の本当の気持ちに蓋をして、家族のため、世のため、人のため警察は素晴らしい仕事じゃないか!自分に言い聞かせ、都合の良い言い訳をしていた。

モチベーションを上げるため目標を持とうと思った。どこの会社でもそうかもしれないが警察でも1年間を通じて優秀な成績を残すと表彰されるという表彰システムがある。

よし、1年間を通じて計画的に業務を進めて、表彰を取ろう

それに向けて行動しているときだった・・・警察署に配属されて1年目にも関わらず本部への異動辞令が出た

”寝耳に水”とはこのことだった。周りの上司や同僚は”栄転”だと喜んでくれたが、私の心は「異動希望も出していないのにどうして?」せっかく頑張ろうと思っていたのに。心は沈み、複雑な心境だった・・・

異動先は今まで一度も経験がない管理部門だった。自分が高く評価された上での異動であることは明らかだったけど、こうして自分の意志に関係なく自分の人生が突然、第三者によって決められる

これでいいんだろうか・・・この先もずーーーっとこんなふうに組織の都合で自分が望まない仕事をすることになるのだろうか?

本当にこのまま刑事を続けて楽しい?本当にこのまま警察を続けて後悔しない?

他人に自分の人生を委ねて生きるのはもう嫌だと心の底から思った。

再び”退職”の言葉が頭をよぎった。

警察しか知らないお前に何ができるんだ!やめておけ!夢なんか見るな!家族を路頭に迷わすのか!?お前は警察官という素晴らしい仕事をしているじゃないか!退職してから、やりたいことをやればいいじゃないか。

でも・・・退職まで自分に嘘をついて仕事をやり続けるのか?そんな心の声が聞こえてきた。

警察を続けたくない自分と辞めたら恐ろしい現実が来るかもしれないという恐怖に葛藤する日々。退職という行動に移す勇気が出なかった

警察の自分にできることは何もないと思っていた。退職を考えるなら自分の才能や強みを知る必要があると思った。結婚前から貯めていた自分の口座から才能を発見する講座や教材を購入し、人生を変えるため、会いたいと思った人たちのセミナーなどに参加した。

おそらく100万以上は使った。色んな人に会いに行って色んなセミナーにも足を運んだ。

現役の警察官であることを伝えるとみんなが驚いた。

”人生を変えたいそう伝えると多くの人が”いいね、できるよ!応援してるよ”と言ってくれた。

多くの成功者や好きなことを仕事にしている人たちと出会う中でこんな自由な生き方があるんだと初めて知って、とても新鮮な気持ちだった

自分も好きなことを仕事にしたい、と思った。

小さい時から、人に何かを教えるのがとても好きだった

体育の教員免許を取得している。警察官を志す前は”教員になろう”と考えていた時期もある

困っている部下や後輩の面倒を見るのがとても好きだった。仕事で分からない事があると親身になって相手が納得するまで手取り足取り教えた。

”分からない”から”分かった”に変わった瞬間の人の喜ぶ顔を見るのがとても好きだった。

人を教える事でお金がいただける。人のより良い生き方をサポートできる”コーチ”という仕事の存在を知ったとき、なんて素晴らしい仕事なんだと思った。これこそ自分のやりたい事だと感じた

土曜日の朝から月曜日に仕事が行くことを考えると憂鬱になる。それは、異常なことだ・・・

子供には好きなことを仕事にするんだ。自分が楽しめることを仕事にするんだよ

子供に言ってる自分が本当に笑顔になれる仕事をしているだろうか?

月曜日、暗い顔をして玄関を開けて仕事に行く親を見て、子供は「大人っていいな」「仕事って楽しいんだな」そう思ってくれるだろうか?

毎日イキイキ、楽しそうにしている父親の背中を見せていたい。

僕は、退職を決意した。

刑事を退職し起業の道へ。

家族もいる自分にとって退職は人生の大きな決断だった。

退職を決意した時「怖くなかったか?」と問われれば「メチャクチャ怖かったです!!」と答える。

でも「退職するぞー、うぉおー」と勢いだけで退職したというのもなんか違う。

もっと心の中に静かな炎がゆらゆらと燃えている、そんな感じだった。

自分の心に正直になった。死んだように生きるのは嫌だった。

このまま刑事を続けたら死ぬときにきっと後悔するという確信だけはあった。

不安だらけだったけど、自分なら”きっと大丈夫だ”という想いが強かった

退職を妻に伝えたときのことは昨日のように覚えている

警部
あのさ・・・警察、辞めようと思う。

いいんじゃない(かるっww)私は辞めてほしいと思ってたよ。数年前から仕事に悩んでいることを分かっていたから・・・苦しむくらいなら辞めて好きなことをして欲しいと思ってた。家族がいるのに、よく決断できたね。おめでとう!

警部
泣いてまうやろ・・・ありがとう。

良きパートナーに恵まれた。感謝の言葉しかありません。

退職のことは、直属の上司のみに伝え、同僚や仲の良い同期にも一切話さなかった。

同僚や部下に気遣いをさせたくなかったし最後まで警察官としての職務を全うしたかった。

退職を同僚に伝えたのは1ヶ月前。同期や仲の良い仲間に伝えたのは1週間前だった。

みんなものすごくショックを受けてぼう然としたから、逆に笑ってしまったww

コロナショックのおかげで苦手な、しんみりしたお別れ会もなく静かな警察人生の幕引きだった。

退職を決意してから辞めるまでの半年間は自ら交番勤務を希望した。刑事をしていたら退職する時多くの人に迷惑をかけるし、警察官になって初めて勤務したのが交番勤務だったから初心に戻りたかった。

17年間の警察人生、最後の日。

制服に袖を通すのもこれで最後か・・・精一杯、頑張ってきたなぁ・・・

良き上司、同僚、部下、後輩に恵まれて楽しかったなぁ・・・

よく決断できたなぁ・・・決断してから、あっという間だったなぁ

本当に辞めるんだなぁ感慨深いなぁ・・・。後悔はしてない。これからもしない。

本当に色んなことがあった。公務員という理由で警察官になり警察学校で出会った仲間のおかげで自分自身を取り戻し、警察学校で出会った教官にあこがれて、運よく刑事になれた。

17年間の警察人生で10年間が刑事だった。 

数百件の事件を取り扱い多くの事件を解決してきた。数万人に及ぶ事件関係者、参考人、被害者などから事情聴取し、3,000人以上の犯罪者を取り調べ、心を分析してきた。 

百体以上のご遺体を捜査し、人間の心の闇や醜い部分などを嫌というほどたくさん見てきた。

一睡もしないで朝を迎え、眩しい朝日と太陽の暖かさに思わず手を合わせて感謝したこともたくさんあった。どんなに難しい、大変な事件も仲間と力を合わせて解決してきた。その連帯感、仲間意識がとても心地よかった。

壁にぶち当たった時は本屋に行って犯罪心理学やプロファイリングなどを片っ端から読んで勉強してきた。20代から”5000冊以上の本”を読んできた、本が相棒だった。

真剣に仕事に取り組んだし、全ての経験が自分の中の宝物になった。

刑事として夫婦や男女のトラブルをよく取り扱いました

多くの女性は「自分が悪いんです、私が我慢すれば」「自分はどうすれば・・・」と自分を責める人、我慢する人が多かった。私がいつも女性に言う事は同じだった

警部

まずはあなたが幸せになることを第一優先に考えましょう!

いつも自然と”幸せ”という言葉を使っていた

幼少期に見た、祖父に怒鳴られていた母親の姿がダブっていたのかもしれない

分単位で発生する事件にゆっくり女性から聴取できる時間はいつもなかった。短時間で自分の想いが伝わったとは思えなかったいつも歯痒い想いをした。もっと自分を大切にしてほしかった。もっと自分の人生を生きてほしかった。残念だった・・・。

一人だとそれになかなか気がつけないのかもしれないと感じた

人は等しく”幸せ”であるべきだ。幸せとは、”笑顔でいられる”こと。笑顔でいられるとは、”自分らしく生きる”ということ。

もっと分かりやすく言えば”本音100%で本当にやりたいことに時間とお金を使う”ということ 

幸せになるためには、自分を導いてサポートしてくれる存在が必要だ。心のあり方(マインド)を変えれば、人生は大きく変わる。でも多くの人はマインドの使い方や考え方を知らない。

僕がそんな存在になりたいと思った。僕は”時間とお金のマインド・プロファイラー”という肩書きで最初、起業した。

ビジョンは「女性が心の底から好きなことに挑戦し、家族に応援されながら「私の人生、最高!」といえる幸せな生き方を一人ひとりが見つける」

今まで刑事として3,000人以上を取り調べて数万人の事情聴取を行い、プロファイリングし、真実を見抜く作業をしてきました。僕自身は長い間、人間関係に苦しみ、本音を言えず自分らしくいることができずに苦しみました。

そんな僕だからこそ、あなたの気持ちが分かるし、力になれます。


起業して、取調べスキルや起業塾で学んだノウハウを実行したところ、ありがたいことに初月に公務員時代と同じ収入のコーチング契約をいただき、Web集客のみで50人以上の方から体験セッション等のお申し込みをいただいています。起業6ヶ月目で売上7桁を超えることができました。

お客様から元刑事らしくない、優しく包み込むようなセッションスタイルや心の深い部分をプロファイリングし、本人も気が付いていない”心の真実”を発見するセッションには好評を得ています。

5,000冊以上を読んで得た知識、脳科学や心理学に基づいたNLP・催眠・苫米地式コーチングに基づいた確かなコーチングスキルであなたが長年抱えている思考のクセや心のクセを改善することができます。

3,000人を取調べたプロファイリングスキルであなたが本音100%でやりたいことを見つけることができます。

本音100%で生きることができない辛さを誰よりも分かっています。本音と建前を使い分けることは人生で何よりも辛いことです。『人と比べず、あなただけの理想の生き方を見つけるサポートをすること』それが僕のミッションです。

ミッションを全ての人に届けられるように今まで以上に努力し、さらに向上していきます。

長々と最後まで読んでいただきありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

あなたの人生が素晴らしいものになりますように。感謝を込めて。

2021年7月 自宅にて

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本音100%やりたいことで時間もお金も手に入れませんか?

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